技法 | 岩絵具、和紙 |
サイン | 左下に印 裏面にシール「MAXWELL DAVIDSON GALLERY」 |
額 | 額装 |
サイズ | 130.3×162.0 cm |
制作年 | 2001‐2002 |
鑑定書 | 共シール |
文献 | 『絵の心』 千住博、世界文化社、2003年、p.55 『千住博画集 水の音』 、小学館、2002 |
展覧会歴 | 千住博展「20年の歩み」、日本橋三越本店、2003 |
‐「死」の風景で私が最初に思いついたのが、砂漠でした...ところが「死」を描くために出かけた私の目にうつったのが、圧倒的に美しく広がる砂漠の景色でした。‐
「砂漠」は90年代の終わり、京都大徳寺の塔頭のひとつ聚光院別院の襖絵製作を依頼された際、「生」と「死」をテーマに描かれた5つのモチーフの内一つである。大徳寺聚光院伊藤別院は伊豆にあり、襖絵は5年もの歳月をかけて「水の森」「砂漠」「雲龍」「波」「滝」のモチーフを8部屋、計77枚の襖に描いた作家を代表する偉業である。2002年に完成され、「砂漠」は二の間に全182.5×1060.1cmに渡り描かれている。「砂漠」をモチーフに描かれた作品は少なく、中でも本作は大徳寺聚光院別院の襖絵に描かれた砂漠の一部分と酷似しており同じ風景を元に制作されている貴重な1枚である。2003年の東京日本橋の三越本店をはじめ、博多・三越店ほかを巡回した「千住博展」に出品された作品であり、2002年に小学館が発行した千住博画集「水の音」、2003年に世界文化社が発行した文献である「絵の心 画業20年の集大成一挙公開」に掲載されている。
千住博は、大徳寺聚光院別院の襖絵の製作にあたり次のように回顧している。1997年に東京 新宿の伊勢丹美術館(当時)で開催された、滝シリーズの新作展「千住博・滝の中の宇宙展」で、昼食をとっていた時に、会場を訪れたひとりの僧侶から大徳寺聚光院の襖絵を描いてほしいとの申し出を、食事中の無防備さから反射的に受諾してしまったこと、住職の後ろ姿を見送りながら冷静になり自らの楽天的な性格を責めたとも。大徳寺といえば、狩野永徳による国宝の襖絵があり日本文化の粋を極めた寺で、千利休が眠る「お茶」の世界では聖地ともいわれる場所であって、のべ80メートルにも及ぶ大画面の製作の大仕事だったし、おおきな挑戦でもあった。「90年代の終わりに、大徳寺聚光院という茶道の聖地のような名刹の、別院の襖絵を描くことになりました。別院には茶室が二つあって、それぞれの襖絵ということで「生」と「死」をテーマに描こうと考えたんです。 「死」の風景で私が最初に思いついたのが、砂漠でした。地球上のすべての生き物は、水がないと生きていけない。その水が欠乏している砂漠こそ、死の景色なのだと。そこで、世界で一番過酷な砂漠といわれるリビアへ、しかも砂嵐の季節である2月に出かけました。当時はまだ、治安もそれほど悪化していなかったので行けたわけです。 ところが「死」を描くために出かけた私の目にうつったのが、圧倒的に美しく広がる砂漠の景色でした。あまりの美しさに私は思わず駆け出してしまった。すると、まったくの無音の世界に、自分の「はぁはぁ」という息の音だけが聞こえる。そして水のない空間のなかで汗がにじむ。「死」を見に行ったはずなのに、突きつけられたのが「自分が生きている」という実感だったのです。」